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「憲法改正」について思う事 [旗日には「日の丸」を掲げよう]

 このBLOGにしては、すこし(かなり)重めのテーマですが、ご容赦ください。

 多少思うところがあり、このテーマを選びましたが、右にも左にも寄っていない、普通の社会人の常識として書いたつもりです。

 願わくば、最後までお付き合いくださいませ!
 
 
 私は予てより、「改憲=右」「護憲=左」という見方に大きな疑問を持っています。
 
 そんな簡単な枠組みではなく、「自衛隊も持ってはいけない旨を憲法で明記する」「国民の私有財産を認めず共産主義を国是とする」という改憲論者や、「現憲法の枠組みでも解釈で集団的安全保障は認められる」から憲法は変えない方がよいという護憲論者だって、当然存在しうるわけです。
 

 
 私は憲法改正で最大のポイントは、憲法9条でも他の条文でもなく、改正手続きだと考えています。
 

 
 近代日本は、明治憲法と現行憲法の2つの憲法を持ったわけですが、いずれも天皇陛下やGHQから下げ渡されたもので(手続きは別として)、いわば条文を神棚に祭り上げ変更してはならないもののように扱い、解釈で現状に対する対応を行ってきました。
(戦前の天皇機関説・統帥権や現在の9条の解釈などは皆これに当たるように思います。)
 
 
 憲法を守るのが目的で「政府」や「国民」が存在している訳ではなく、「国民の幸せ」という最大の目的の為に「政府」が存在しており、その運営ルールが「憲法」という事なのではないでしょうか?
 
 そして、憲法と言えども当然人が起草するものであり、一定の手続きにより改廃が自由に行われる種類のもののはずです。
 
 国の最高法規であり、国の歩むべき道を示すものでも有りますので、通常の立法手続きとは違う より高いハードルが必要では有りますが、国民的な議論とそれに伴うコンセンサスさえあれば、一定の手続きにより改正する事が出来るシステム作りこそが最優先だと考えています。
 
 
 現在、裁判所等で憲法解釈が行われる場合が有りますが、これも憲法の解釈についての許容範囲が広すぎるから発生するのであり、本来は違憲判決などが出た場合に裁判所の解釈を完全に受け入れるのではなく、必要であればその解釈について国民的な議論を行い、国民によって選ばれた国会議員によって構成される立法府を起点とした一連の手続きで、粛々と改正が行えるシステムこそが必要だと思います。
 
(憲法裁判所などによってその機能を果たそうとの考え方も理解出来ますが、一部の人たちだけが国民的なコンセンサスの形成なしで憲法判断を行うシステムであれば、私は反対です。)
 
 
 つまりは、憲法の位置づけ、憲法の果たすべき機能をまず最初に議論し、それらをしっかり定義してから他の条文の検討にはいるのが筋であり。憲法を神棚からおろし「国民のもの」にする作業をまず最初に行わなければならないと言うことです。
(今回の憲法改正機運に対してもっとも重要視して欲しいのは、憲法は不朽の大典ではなく、国民が自ら選ぶ「国の指針」であるという「国民意識の醸成」だという意味です。)
 
 
 個人的には、第9章96条(改正の条文)さえ変える事が出来れば、他の条文はまったく変わらずとも良いとすら思っています。
 
 憲法を私たち国民のものとし、通常の立法手続きとして改廃を論じる事が出来るようになりさえすれば、他の条文は時間の経過とともに後からついてきます。
 
 
 一昨年、ある憲法関連のセミナーの中で、ある新聞社の記者(やはりA紙だったりはしますが)が質問に立ち「憲法に書いてあるから、日本は戦争せずに済んだ」と言う趣旨の発言をしておりましたが、本来は「国民の意思(コンセンサス)が戦争放棄」→「議論の結果、憲法で明記した」→「だから戦争せずに済んだ」と言う事であれば一応は納得できるのですが、その記者の発言では、「国民的な議論なしでGHQの圧力と示唆によって出来た現憲法」という現憲法制定の手続きについての認識が根本的に欠けており、いたずらにその条文を神聖なものの様に扱っているように思われてなりません。
 
 
 責任と結果を誰が主体として受け止めるかと言うことが非常に重要であり、国民的な議論の末に非武装中立を国民自身が決めたのであれば、仮に侵略にあい他国の支配を受けたとしても、その結果は自らの意志(コンセンサス)によって憲法に書いた国民が負うべきものであり、そうであれば必ずそこから立ち上がる事が出来るはずです。
 
(もっとも日本人の叡智は、そんな事態を未然に防ぐ事が出来ると信じています...。)
 
 
 いづれにしても、今の憲法改正論議の高まり、非常に嬉しく思っています。
 
 数年前なら議論すること自体がタブーのような雰囲気が渦巻いており、論議自体がはばかられていました。それが今では、様々な憲法関連の書籍が店頭に並び、普通に憲法改正について議論が出来るようになり、明らかに前進しています。
 
 「憲法を神棚から降ろし、私たち国民のものにしなければ!」
 
 
 嗚呼、慣れない理屈っぽい文章で、自分の言いたいことがちゃんと伝わっているかどうか?心配でしょうが有りません。
 長文に、ここまでお付き合いいただき、本当にありがとうございました!
 
 
参考)
日本国憲法の誕生-国立国会図書館
http://www.ndl.go.jp/constitution/index.html

 


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PS.
 前に憲法について調べていて驚いたのが、正式な名称は法律的には「大日本帝国憲法」のままになっていると言うことです。
 現憲法制定の手続きは、明治の大日本帝国憲法を戦後GHQの示唆により、「改正」という手続きにより成立しています。そして、その改正の中には「憲法名」の変更は含まれていません。
 つまり現憲法の法律上の名称は、「大日本帝国憲法(昭和21年度改訂版)」だとのことです。

 

(2007.110追補)

 憲法名については、以前どこかのサイトで読んだ記憶を元に書きましたが自信がありませんので、どなたか詳しい方がいらっしゃいましたらご教授ください。

 少なくとも、憲法名について議論があった形跡は発見することが出来ませんでした。
 


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杏珠

初めまして。ニュースのカテゴリからお邪魔しました。
実名のブログで難しい問題に取り組んでいらっしゃる姿勢に感動しました。

以前読んだ雑誌で「日本人はルールを守るものだと考えるが、欧米人は自分の都合の良いようにルールを変えるものだ」というような記述がありました。
法律でも経済でもスポーツでも、共通する考え方だと思います。
憲法は、日本人にとって守るべきルールの最も高いところ、まさに神棚にあるものなのでしょうね。
PS.にある法律上の憲法の名称は初めて知りました。驚きです。
by 杏珠 (2006-07-29 15:42) 

nina

こんにちは。
私も日本国憲法が聖書化している事は不自然だと考えています。
「日本古来の文化というわけじゃないのだから、自分たちの都合の良いように変えればいいじゃない」と思うのですが、そう言うと「戦争をしたいのか」などと言われる事があります。
どうも「改憲=戦争賛美」とされているところがあって不満です。
誰だって戦争は嫌でしょうし、私は身内が自衛官で前線に立つ事になりますから、そんじょそこらの自称平和団体なんかよりは、よほど戦争に反対だと思っています。
でも、私のような思想だと「戦争好き」とのレッテルを貼られる事もあるんですよね・・・・・
by nina (2006-07-29 17:55) 

たいせい

 hellucky さん、わざわざご訪問いただき本当にありがとうございました。
 私が憲法改正について考えるようになったのは、とある団体で(政治的な団体ではありません)、定款に書いてあるから○○○は手続き上できない旨の発言を聞いた時でした。
私には○○○という議案は、その団体の本来の目的にかなっていて、絶対やるべきだと思っていたので、それが出来ない定款っていったい何なのだろうか?と純粋に疑問を持ちました。
そして、定款に書いて有るからと聞いて、議論と思考が停止してしまうメンバーに、強烈な違和感を感じたのです。(だって、会本来の目的を達成するのが大目的であり、その為の手続きを定めたのに過ぎないのが定款じゃないですか?:人間が込めたルールに人間が縛られるのは本末転倒ですよね....。)

 そして、よく考えてみると憲法も一緒だなぁ!と妙に納得してしまいました。

 それだけの単純な思いですので(でも、それこそが大事だと実は思っていたりはします)、お褒めいただき、恐縮しております。

 コメント、ありがとうございました!
by たいせい (2006-07-31 11:18) 

たいせい

 nina さん、コメントいただき、そしてnice!までいただき、本当にありがとうございました。
 ninaさんの感覚、私もよくわかります。
 議論をしないこと=平和の維持、みたいな図式が通用すると思っている人たちが本当に多いですね。
 いざとなったときにガンジー流の無抵抗主義を確信犯でやる覚悟があるのならば敬服しますが、それとても議論をして国民的なコンセンサスを作らなければならないのに....。(そちらの方が、どう考えてもしんどいはず)

 また、今後ともよろしくお願いいたします!
by たいせい (2006-07-31 11:29) 

こんばんわ。いつもありがとうございます。
”是非におよばず”燃える本能寺で織田信長公が最後に吐いた一言と言われています。
憲法の改正の議論までこの言葉通りではいけない気がしています。
この問題こそ、米国の大統領選挙の用に公式なTV公開討論をして、まずは広くこの問題を啓蒙する。そんな所から皆さんの意識に訴えかけるべきと、常日ごろから思ったりしています。
by (2006-08-10 01:05) 

たいせい

憲法については、内容の吟味に入る前に「位置づけ」をきちんと行わなければならないと思われてなりません。
改正後、また神棚に祭り上げられても困ってしまうし、護憲派もそれを恐れているはずです。
ただ単に、憲法は普通の法律の最上位にあるに過ぎないと言うことを「国民の常識」にしておかないと、討論しても議論が噛み合わないような気がしてなりません。
(本文にも書きましたが、「憲法を守るために、政府や国民がある」みたいな論理で議論されても話しが噛み合いませんので....。)

いまの憲法論議は、枝葉の議論のような気がしてなりません。

PS.
nice!、ありがとうございました。
by たいせい (2006-08-10 12:30) 

セシリア

こんにちわ。
憲法については、今後柔軟に考えていけばいいのに、
と思っています。
今は改正と、口にするだけで、過剰反応が返ってくるのです。
自国民が拉致されたら、
即座に奪還できる、そういう国であってほしいのですが。
by セシリア (2006-08-10 17:33) 

たいせい

それでも、5年10年前と比べて、明らかに前進しているのがとても好ましく思えています。
書店に憲法問題の本が並ぶようになり、国会議員が憲法改正なんて言ったら、大変なことになる時代では無くなりましたので....。
(ある意味、中国・北朝鮮のおかげかも....。)
by たいせい (2006-08-11 13:33) 

asayake

トラックバックいただきありがとうございました。
記事も読ませていただき、とても勉強になりました。
護憲派の人達のチラシで「国民投票法案はダメ」というのをよく見かけるんですが、それを読むとダメな理由よりも「法案が通ると日本は戦争をする国になる」と書かれていて、胡散臭くて信用できなかったんですよね。
でも、その胡散臭さを「なんかおかしい、なんか誤魔化されてる」という、曖昧な感覚として持っていただけでしたが、こちらを読んで具体的な「おかしさ」が理解出来た気がします。
後ほどこちらからもトラックバックさせていただきます。これからもよろしくお願いいたします。
by asayake (2007-03-07 02:10) 

たいせい

 asayakeさん、コメントありがとうございました。
 核問題について、自民党の中川政調会長(違ってたらごめんなさい?)が、「今は、『非核3原則』ではなく、『非核5原則』(作らず・持たず・持ち込ませず・口に出さず・考えず)ではないか!?」との発言をしていたように記憶しています。
 憲法について5年前に比べて呪縛が解けつつあるとは言いつつも、「口に出さず」「考えず」を基本原則と考える人たちが、いわゆる護憲勢力の中に非常に沢山居るように思います。
 改憲論者の中にも時々いますが、「民は依らしむもの」との認識で、国民的な議論を恐れ、世論の喚起ははかるものの「国権主義的」なアプローチで、密室にて大枠を決めようとのアプローチもあるように見受けられ、「国民のものにする」という本来すべき本質的な議論を避けているのではないか?と感じられることも度々あります。
 本文でも書きましたが、民主主義の本質は「(良くも悪くも)結果を享受する国民自身が、最大の責任者でなければならない!」との一言に尽きると考えています。
 かつてGHQの行った、「日本の戦争責任は一部の国家指導者のみにあった」との刷り込みに私たちが逃げ込んでしまうに至るカラクリの一環もそこにはあり、国民的な議論の末に国民投票を経て決まった憲法の元であれば(当然国のあゆみについての議論の末に決まったという前提です)、たとえ敗戦・占領の憂き目にあおうとも、現在のような国家アイデンティティの喪失や国際感覚の欠如には至っていないはずです。

 憲法を守るために国家や国民があるのではなく、「国民の幸せ(その永続を担保する国家の存続)のために憲法があるのだ!」という本質に立ち返って、「憲法を国民のものにしたい」と願うこの頃です。
by たいせい (2007-03-07 09:56) 

小龍景光

こんばんは!
拙エントリーへのコメントとTBありがとうございました。
お礼が遅くなってしまい申し訳ありません。

エントリーの内容には全く同感です。
現憲法は改正を不可能にするためにGHQによってしかけられたものですから、改正が困難を極めるのも仕方ありません。

国際法上は外国軍隊の占領中に制定された法律は無効宣言できるのが通例ですので、そういった方策も存在します。しかし、まず改正手続きだけを変更するというのも現実的な方法かもしれないですね。

我が国周辺の事態を俯瞰するとあまり悠長なことも言ってはいられないと思います。時間切れになるまでに国の立ち位置を明確にしてもらいたいですね。
by 小龍景光 (2007-03-13 20:27) 

たいせい

 小龍景光さん、現憲法の無効宣言が可能だとの点、私なりには理解しているつもりでいます。
 ただ、これとても国民の理解がなければ行うことが出来ず、現憲法の改正手続きによる改憲にしても同様だと思います。
 また、これらは基本的に手続きの問題であり、有るべき新憲法の姿を国民的な議論の上で明確にして、その後に実現可能な改正手続きを考えればよいのではないかと考えています。
(そんな必要はないと思いますが、国民的な合意の上であれば革命だって改憲の手段になり得ます。)

 思うに、制定の歴史的な経緯などもあり、日本人は憲法に過大な期待を持ちすぎているのではないでしょうか?
 本文でも書いたつもりではいますが、国の最高法規ですので時の政府の一時的な恣意のみで変えられないように、通常の立法手続きよりもハードルは高くしておく必要はありますが、所詮は人が書いたものであり、必要以上に縛られるのは本末転倒だと思われてなりません。
(憲法を守るのが目的で、国民や政府が存在しているわけではありませんので....。)

 そのあたりの呪縛から早く脱し、まず憲法の位置づけについての国民的なコンセンサスを作り上げ、次に各条文の検討に入ると言う順でないと、結局うまくいかないのではないかと私自身は思っているしだいです。

PS.
 「BLOG兵頭二十八の放送形式」に、非情に興味深い記事がありました。
 「1946元旦詔書は、占領下の国際法違反の偽憲法を予め拒絶していた」との題名の3月6日の記事なのですが、
昭和天皇自らが超法規的な手段によって、占領時にGHQの手による剣法制定を防ぐべく明治憲法の停止を行い、同時に明治憲法制定の基礎である「五箇条の御誓文」にたちかえらせたと言うもので、全文に賛同できるわけでありませんし、その後の考証を行っていないので、どの程度の信憑性を持っているのか評価できていませんが、非情に興味深く読むことが出来ました。
  もし興味がありましたらご一読下さい。

兵頭二十八の放送形式 2007年03月 アーカイブ(3月6日付の記事です)
http://sorceress.raindrop.jp/blog/2007/03/#a000770
by たいせい (2007-03-14 12:30) 

無党派A

いつも私のブログに貴重なアドバイスを頂きまして有り難うございます。
今後ともご助言とサポートをお願い致します。
ますますのご活躍をお祈り致します。
by 無党派A (2007-05-01 05:40) 

たいせい

 無党派Aさん、憲法に対する議論も、数年前に比べ多少風向きが変わってきた様に感じます。
 数日後の憲法記念日。今年のマスコミの論調がどんな風になっているか?楽しみです。

 コメントありがとうございます。
(私の方こそ経験に裏打ちされた示唆に溢れる記事、いつも楽しみに拝読させていただいています。)

 今後ともよろしくお願いいたします。
by たいせい (2007-05-01 09:44) 

ぬくぬく

朝日新聞「声」に、護憲派から「憲法に血を通わすためには、憲法を守るためにも改正手続法は必要」と、一度だけ投稿が載りました。ただ、その一度のみですが・・・

さらにいえば、最近「国民投票法反対」という人に「必要だ」というと、「投票法に反対なのではない、審議時間や法案内容、与党のやり方が気に入らない」のだそうです。
by ぬくぬく (2007-05-16 19:25) 

たいせい

 ぬくぬくさん、いわゆる護憲派の人たちの声を聞いていると、仰るような論理のすり替えや、論理破綻が随所で見られるように感じています。

 ただ、改憲派の人の議論も(うまく説明できないのですが)「国権主義的なアプローチ」と「民権主義的なアプローチ」があるように最近私には感じられます。
 憲法9条の問題などは双方ほぼ同じ結論に達するのですが、「民はよらしむもの」と考えるか?、「国民参加型(主体)の国」を志向するのか、双方の立脚点により多少色合いが違うような気がしています。

 私は結構この点は重要だと思っているのですが....。

 コメントありがとうございました!
 今後ともよろしくお願いいたします。
by たいせい (2007-05-17 09:19) 

ハハサウルス

TB有難うございました。
大変わかり易く、思いを同じくさせて頂きました。

>国の最高法規であり、国の歩むべき道を示すものでも有りますので、通常の立法手続きとは違う より高いハードルが必要では有りますが、国民的な議論とそれに伴うコンセンサスさえあれば、一定の手続きにより改正する事が出来るシステム作りこそが最優先だと考えています。

本当にその通りですね。全く手を触れることさえ出来ないものとすること自体がおかしいのであって、改正可能な状態にした上で、十分な議論がなされることが大切なのだと思います。ただ、一部の勢力等に利用されたり、“国民的”に議論されずに“密室内でいつの間にか”だけはあってはならないことと思います。
by ハハサウルス (2008-01-09 22:38) 

たいせい

 ハハサウルスさん、同様な意見かと思い調子に乗ってTBを送らせていただきましたが、コメントまで下さり本当にありがとうございます。
 この記事中でも書いたつもりですが、「国民の幸せを守るために政府があり。憲法はその運営ルールを定めたに過ぎない」という基本原則が理解されていない憲法論議が多いように思えて成りませんでした。

 ただこの点に関しましては、いわゆる改憲派の中にも二つの流れがあり、「国民国家としての日本の原則を打ち立てる」と言う考え方と、「民は寄らしむべきもの」という立場に立った「国権主義的な発想での密室改憲主義」で改憲を考えている人たちも一定数存在しているようなニオイを感じており、その観点も含めて今後の憲法論議を興味深く見守りたいと考えています。
(現状のマスコミや国民全般の意思表明など、全てをオープンにして議論することの危うさも、自分なりには理解しているつもりなのですが...。)

 今後とも、よろしくお願いいたします!
by たいせい (2008-01-10 09:57) 

旭陽公方

はじめまして。
reikoさんのブログを通してアクセスさせていただきました。たいせいさんのように私も小さな子供を持つ身です。
防衛、その知識等は人より理解しているつもりですが、憲法などは人よりイマイチ理解できていない方です。
また、田母神氏こそ「真の武人」と思っています。色々、たいせいさんのサイトで勉強させて頂きます。リンクも貼らせていただきます。
私のサイトも一度ご覧になってください。最近立ち上げたばかりで、脳みそが足らず、文章・構成等至らぬところだらけで、見苦しいかもしれませんが。
by 旭陽公方 (2009-04-08 15:51) 

たいせい

旭陽公方さん、「人の意見は疑え」「周りに左右されず自分の頭で考えたことに真実がある」と幼い頃から育てられてしまったおかげで自分の立ち位置が出来、今表に出ているいわゆる右や左ちは違ったひねくれた視点でこの種の記事を時々アップしています。

 左の方達の観念論には激しく違和感を感じていますが、右の方達も物事を観念的に捉えられているケースが思いの外多いと感じますし、単純な現状是認型もなんだか違うと思っています。
 そもそもこれらの方の多くが政治家の仕事を良く理解しておられず、良いところを評価せずいたずらに批評ばかりを加える傾向が強いことに違和感を感じる場合が多いです。
(政治家の仕事は、名前の通り種々雑多な現況の中、状況分析を行い政治的な決断をするのが仕事で、過程ではなく結果責任を負うものです。思想や信条はもちろん必要ですが、学者や評論家ではありませんので時として結果のために建て前を捨てる場合もあり得ます。:何の思想信条も持たないとしか思われない政治家が多いのも事実ですが...。)

 そんな立ち位置で自分の感じたことを記事にしていますので感覚的に合わないこともあろうかとは思いますが、こんな考え方もあると言うことでお立ち寄りいただければ嬉しく思います。
 コメントありがとうございました。
 またお気軽にコメント下さい!
by たいせい (2009-04-09 10:36) 

元気

たいせいさん、こんにちは。
トラックバック、ありがとうございました。

現憲法を神棚から下ろすために必要なのは、「国民意識の醸成」 なのですね。
それは、誰か(外国含む)の意図で踊らされるということは無いのでしょうか。
改革に向けて。という意味です。

>個人的には、第9章96条(改正の条文)さえ変える事が出来れば、他の条文はまったく変わらずとも良いとすら思っています。

前文もそのままですか?
第1章、象徴天皇もそのまま。
第2章、戦争の放棄もそのまま。(外交手段として戦争という手段は取らない?)
第3章、国民の権利及び義務。これもそのままですか?



by 元気 (2009-07-08 16:47) 

たいせい

 元気さん、通常に比べればやや高いハードルの設定が必要ではあるけれども、憲法と言えども人が起草したものであり自由に改廃が出来るものです。
 何よりも大切なのは、憲法の議論自体をタブー視したり聖域化するのではなく、国民的な議論により普通に改正手続きが出来ることであり、その実質を確保するため改正のハードルを下げるべきではないか?と考えています。
 それが出来れば個々の条文の改正については、記事本体にも書きましたが時間の経過により自然に実情にあったモノになっていく物だと思います。
 また、国民の総意がまずあってそれを明文化した物が憲法なのであって、憲法が○○だから□□としなければ成らずそれ以外の選択肢がないという状況こそが異常な状態ではないのでしょうか?

 コメント、ありがとうございます!

PS.
 ご指摘いただいている三点については、国民的な議論による合意という手続きを経ずに明文化されていることに問題があります。(憲法制定の手続きが異常でしたので。)
 かといって明治憲法も欽定憲法であり(当時の時代状況が背景にありました)国民的な合意形成が出来た結果ではなく、憲法の実質を私たち国民のものにする過程で、当然見直しが行われる物でしょう。
by たいせい (2009-07-10 21:31) 

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